Back
谷川晃
高野玲
廣田響子
山下裕賀
河野大樹
関口直樹
小西達也
音楽プロデューサー 谷川晃
(指揮、アレンジ、テノール)
谷川さんが音楽を始められたのは、いつ、どんなきっかけでしたか?
幼稚園に入るかその前くらいから、無意識のうちに鍵盤楽器をいじったのがきっかけでした。右足で。
右足ですか(笑)。初めて触れたのが鍵盤だったんですね。そのほかの楽器は?
小学校の頃、ヤマハ音楽教室でエレクトーンを習っていました。 YMOのライディーンとか、ロッキーのテーマなんかを弾いていましたね。 アンサンブルコースでドラムも習っていました。 ピアノは、いい曲があるなと思い、中学の頃に独学で弾き始めました。 初めに弾いたのがトルコ行進曲、その次がショパンの革命でした。
トルコ行進曲に革命のエチュードですか! いきなり難易度の高いところにいきましたね。歌も歌われますが、声楽はどうやって?
実は小学校の頃からそれなりに声楽の声が出ていたんです。4~5年で声変わりした時にはテノールの声になっていて。 全体合唱の中でも目立ってやろうと思っていたので大きい声を出す訓練していたので。 声楽を習ったのは、高校になってからですね。
指揮や編曲はどこで学ばれたのでしょう?
編曲・作曲のベースはヤマハで習っていましたが、指揮を始めたのは高校になってからですね。 音楽部だったのでそれがきっかけで歌と指揮を始めました。指揮者協会の先生に習っていました。
器楽も声楽も両方好きで、指揮者のポジションにいることで色々な音楽が作れると考えていました。 それぞれ相反するものだと思っていましたが、声と楽器がハモること、お互いを補完できることが分かりました。
何がきっかけでSerendipity構想を思いついたんでしょうか?
いろんな音楽をごちゃまぜにして新しいものができるんじゃないか? と考えたのがきっかけです。 ジャンルを変えたり、違う分野の人も呼んだりしたら、と考えて。 たとえば、クラシックでいうと、ロマン派だからこう、バロックだからこう、というのでなく、ジャズと組み合わせたらどうなる? とか、固定概念と違うものをかけ合わせることで、新しいものが生まれるので、はと思っていました。
Serendipity構想事業は、この先10年かけて、その時代に合った異業種、他キャリアの人材をかけ合わせて発展していきたい、とのことですが、前から温めていた構想なんでしょうか?
音楽に向きあった時にいろいろな解釈を考えますが、10年ぐらい前だったか、ピアノと声楽曲にあえて楽器を加えることで、詩の世界観、解釈をより伝えやすくなることが分かったんです。
そこで、音楽を、違う楽器で表現すると、分かりやすく伝わるんじゃないか? と考えました。
たとえば、ピアノと歌だけのシューマンの歌曲にフルートを入れるとか。クラシックにドラムを入れたらもっと分かりやすくなるのかな、とか。
分かりやすく伝わるというのは音楽の基本だと思っています。
これまでコンサートで、そういった器楽と声楽をかけ合わせることはしていましたが、今回のようにあらゆるジャンル、クラシック・ジャズ・声楽・アンサンブル・フルート・ホルンなどかけ合わせたものは初挑戦です。
音楽のとの向き合い方が変わってきた結果、今回の作家とのコラボといった発想にもつながってきたのだと思います。
若手芸術家の活躍の場をたくさん作っていくことで、世の中に認知してもらう機会を増やしたい、とのお話でしたが、芸術家や音楽家を守っていかなければという想いはどこから生まれたんでしょうか?
自分も若手のころオペラをやってましたが、20代の頃ってどうしても、主役なんかはまずなくて、なんとか出番の少ない役や合唱で出演させてもらうのがやっと、といった感じだったんです。
現在も、同じような悩みが、若手や教育現場から聞こえてきます。
若手にもいろいろな演奏会で歌う機会を提供したい、聴いてもらえば知ってもらえるし、ファンもできる、と考えました。
今回の演奏会でも、若手の人のそれぞれの見せ場で、素敵な声が聴けますよね。
谷川さんは、芸術文化における若手・中堅・ベテランと縦のつながり(関係性の深化)だけでなく、芸術の広がり(技の探索)も視野に入れた取り組みにしたいとのこと。
出会いの場を提供したい、ということも言われていましたが。
今回の参加者には、ビジネスマンもいます。
音楽の人はビジネスに疎いんです。自分達が生きるための術を学ぶ必要もある。マネジメント的な観点をビジネスマンから学んでもらえたら、という気持ちもありました。
コロナ禍の影響もありますか?
おおいにありますね。2020年になってからは発表の機会も、そもそも練習する場もなくなりました。周りでも仕事が急になくなってしまっていましたが、やり方を変化させながらようやく活動の場が増えてきたなと実感しています。
第二部の物語を演出する中で、何に心がけましたか?
自分の知っている曲を並べず、あらすじを読み込んで、それにあわせて音楽を選んでいった、というのが大きいですね。
自分の経験値を落とし込むのでなはなく、脚本に一番合う曲を選んでいきました。そのために、ネットで曲を聴いたり、海外の出版社の楽譜を探したり、知らない曲を多く取り入れていきました。
音楽会だとよく知られたメジャーな曲を演奏することが多いと思うのですが、あえて珍しい曲にチャレンジされてますよね。その心は?
はい、あえてのチャレンジですね。
音楽通の方でも、物語の中で聞いたことのない曲が流れてた、と、取り合わせの妙を楽しんでほしいです。
それと、もともとあるストーリーに音楽をつけることはありますが、今回はコンサートのために物語から書き下ろしてもらっています。これは初めての試みではないかと思っています。
物語の中で、主人公・響香は、コロナ禍により挫折を音楽活動を進めることができなくなり、無力感を味わっています。
音楽活動で挫折を味わったことがありますか? エピソードを教えてください。
特殊なマインドかもしれませんが、挫折があるいからこそ次があると考えるタイプです。失敗したら受け止めはするけど、次に向けてどうしたらいいかなと考えます。
生まれつき前向きな性格ですか?
そうですね。
ピアノを弾くうえでの限界値はあって、まあ、それを挫折と言えば言ってもいいけれど・・・
それを挫折ととらえずに、編曲や指揮の道に進まれたわけですね。
他にはどんな楽器を弾かれているんですか?
ドラムの他、バイオリン、トロンボーンなども演奏したことあります。
指揮者として、いろいろな楽器が弾けるというのは大事ですよね。
自分の強みは、色々な音を聞いて覚えて、頭の中でシミュレーションできるところかなと思っています。
今回も、練習が大人数(25名)で全員そろえないことも多いですが、パートが足りてなくても想像しながら指揮しています。ホールの響きも想像しながら、頭の中で音を鳴らしています。
プロの創作料理人みたいですね! 野菜の味を確かめて、出来上がりの味を想像しながら新しい料理を生み出す、みたいな。
そうですね(笑)
練習ではいつも参加者が友好的なムードで取り組んでいるのが印象的です。
参加者をまとめあげるにあたって気をつけていることは?
穏やかに音楽を一緒に作り上げるように気をつけています。優雅に、おいしいロイヤルミルクティーでも飲みながら、くつろいで音楽をやっているような。
クラシックは指示待ち音楽になりがちなんです。
音楽・歌詞を見てひとりひとりが感じて歌ったり演奏したりしたほうが、いいものが生まれるはずだと、十数年前に気づきました。
それまでは、ハウトゥーばかり言って、自分の考えをごり押ししていました。
指揮者の世界観を押し付けると、想像しやすい曲、型にはまったしっかりした音楽になります。それはそれでいいけれど、どこにでもありそうな音楽になるんです。
みんながプロアクティブにやっていくと全く違います。それぞれがいろいろなことを感じながら演奏しているので、のびのびしている。ライブな世界で、弾くたびに変わっていく。
ほんわかした雰囲気で進めながら、ああじゃないか、こうじゃないか、とメンバーが意見を出し合っていく。
アジャイル開発の考え方に似ていると言われてましたが、一人一人の自発性を大切にしているんですね。
(注:アジャイル開発=あらかじめ仕様を固めて計画に従って開発するのでなく、発注者と開発者がコミュニケーションを活発に取ることで、仕様の変化に柔軟に対応できる開発方式)
そうなんです。なので言いたいことはあっても、自分がやりたいことは押さえて、出てきた提案を積極的に取り入れて演奏をやってみることを大切にしています。 指揮者も自分の描く音楽の世界に近づけようとしていきますが、出演者や関係者と共創していくという観点を忘れてはダメということですね。
自由にのびのびとやってもらったことで、刺激を受けたりしたことはありますか?
参加してるメンバーが凄いと感じました。
自分はヒントしか言わないんですが、たとえば、これは複数の違う曲が組み合わさってできてます、などと言っただけで、曲想が変わるんですよね。
昔のやり方なら、一曲目はこう、二曲目はこう、とか、讃美歌だからレガートでとかマルガートで、とか指示していたところです。
基礎がある人にだからこそできる話でもありますが。
その分、いい音楽が引きだせる言葉を考えて伝えていますね。
たとえば?
弦楽カルテットに、オペラ歌手にラブを伝えるため「ラブな音」を出してください伝えたら、本当にすごい「ラブ」が飛んできました!
メンバーから、何かこんなアドバイスを取り入れた、という例もありますか?
リベルタンゴなんかは、まさにみんなが意見を言って作り上げていますね。
大幅な変更を2回やっているし、今楽譜はリリース5ですか。16小節増やしたしたので、どんなアレンジを入れるか悩みました(笑)
他にも、こんな打楽器入れたらどう、とか、トランペット入ってもいい? とか、ここはスラーじゃなくしたい、とか、皆さんからいろいろな意見をもらってますね。
Srendiptity Oneのテーマについて教えてください。
以下5つをポイントとしています。
1 世界情勢が不安定な昨今、誰もが穏やかに平和な日常が過ごせるようにと『祈り』をテーマにしています
2 コロナ禍であらゆる文化的事業が中止、延期または縮小を余儀なくされる世の中において、取り分け才能ある若い音楽家がリアル演奏会の機会を失ってしまうことを危惧し、彼ら彼女らの活動の場を一つでも多く創っていきます
3 若い音楽家たちには今後の事業企画に参考にしてもらえるよう演奏会立案、音楽プロデュース並びにプロジェクトマネジメントも含めた総合的な知見を伝承します
4 あらゆる分野の芸術文化的活動が今後も世界の人々の生活や生きる意味などを支えていくことを願って、今後も同様の活動を続けていきます
5 観客を巻き込んだ企画(コンテンツ配信、出演者とのリアル演奏会での交流など)はもちろん出演者同士の共創による新たな価値も創造し発信していきます
Serendipity Oneに期待することはなんですか?
Serendipity構想元年として、新たな芸術表現の幕開けとしていきたいです。
最後に、公演への意気込みを聞かせてください。
出演者の良さがしっかり伝わるように、そして多くのお客様に幸せな気持ちになっていただけるようにがんばります。
練習を聴いていても、一人一人の個性の生きた音楽会になると感じています! ありがとうございました。
ジャズ音楽家 高野玲
(ドラムス、パーカッション)
いつ、どんなきっかけで音楽を始めましたか?
3歳の頃、よく遊んでくれていたお兄さんの影響で。お向かいに住んでいてバイオリンを習っていました。練習している音を聞いているだけでも楽しくて、自分でも弾いてみたいと言った事がきっかけです。アニメの主題歌なんかをよく弾いていましたね。
ドラムを始められたのはいつ頃ですか?
中学校で吹奏楽部に入った時からです。
4年生のころバイオリンで自分の骨格が原因で弾けないフレーズがあって最初の挫折を経験したんですが、その時、隣の中学生のお兄さんがドラムやっててかっこよかったので、叩いてみたいなと思いました。
あと、小学校5,6年チェッカーズが好きで聞いていたのですが、好きな女の子がドラムカッコイイと言ったので…というのもあります(笑)
どちらも、人との出会い=セレンディピティがきっかけになっているんですね。
バークリー音楽大学で学ばれたとのことですが、主にどういったことを勉強されていたんでしょうか?
23の時に留学しました。ジャズの勉強ができる大学がある、というのを知らなかったので、面白いなと思って。
バイオリンで入って半年間ブルーグラスやジャズを習いました。
その後ドラムに転向して、ジャズ、ブラジリアン、キューバン、R&B、クラシックなど、アメリカ大陸の様々な音楽の奏法、理論を学びました。
様々なジャンルで有名人を輩出している名門校ですね。バイオリンからドラムに転向されたきっかけは?
入学の際、先生の推薦状が必要なんですが、ドラムは独学だったので、まずはバイオリンで入ったんです。
もともとドラムに転向される予定だったんでしょうか?
はい。
教会などでバロック音楽のコンサートもされてたとか。
学校に演奏依頼のフライヤーなどが来るので、ギャラを交渉して演奏してました。
お客さんの反応もその場で見られるわけですよね。
ええ。大変喜ばれましたし、教会での四重奏の演奏は貴重な体験でした。
今回の公演でも四重奏がありますが、バッハの音色が流れてくると、一気に空気が変わって、タイムトリップできますよね!
大学ではどんな人達と出会ったんでしょう?
変態ばっかりいましたね(笑)
ジャズの学校なのにヘヴィメタルしかやらない、ファンクしかやらないという人もいました。
自分の尊敬する先生の授業だけとって、さっさと退学して仕事を始める人も多かったですね。
そういう人に限って素晴らしい演奏をしたりするんですが。
才能があって尖っている人達。
はい。
いつも練習でドラムセットや大量の楽器を搬入されているのが印象的ですが、いつもあんなに持ち歩いているのですか?
いつもはあんなに持っていません(笑)
Serendipityでは常に試行錯誤が必要なので、ついあれこれ持っていって、どれが合うかな、と試してしまうんです。
結局一度も叩かずに持って帰っている楽器もありますが。
毎回、カートで駐車場と練習室を二往復されていますからね。
ちなみにドラムの楽譜は配られていなかったと思いますが、アドリブで弾かれているのですか?
アドリブはジャズの二曲だけです。他は自分で譜面を作っています。
ここはGmだからDでチューニングして…次のffのためにその前のmfは1トーン低いシンバルがいいか…とか練り上げていくんですが、毎回毎秒試行錯誤です。
毎回、譜面を起して調整されていたんですね!
はい。その都度欠席メンバーがいるので、一度調整しても、次に練習するときに音が加わって、あ、これじゃダメだ! と、また直したりしてます。
そんな苦労があったとは。最終的にどんな演奏になるのかとても楽しみです!
ところで、ドラムセットに素敵な模様がついていますが、こだわりの逸品ですか?
神奈川の小田原に工房をお持ちのドラム職人さんを知り合いを通じて紹介してもらって購入しました。
箱根細工のデザインが入っています。
Serendipity Oneに参加した経緯や、参加を決めたポイントなどがあれば教えてください。
お話をいただいた際に心惹かれた部分が2つありました。
1つは、クラシック、ジャズ、民族音楽、音楽劇、これを1つのステージで演じる事が未体験の領域に踏み込むような感覚でワクワクしました。
もう1つは、演目が私の知らない曲ばかりだった事です。しかもどれも心惹かれる曲でしたので参加を決めました。
ともかくいろいろなものがあって、それをひとつのステージでやる、というのが想像できなかったんです。
幅広い音楽に触れてらっしゃる高野さんでも演奏されたことのない曲があったのですね。
合唱はほとんど知らなかったので、音圧がすごいなと思いました。
ドラムと合唱を合わせるのはとても斬新だし、聞いていてもかっこいいと感じました。
新しいですよね。
とても素敵で、練習が終わった後も、頭の中で音がリピートしてます!
好きなジャンルや好きな曲はありますか?
とくに好きなのはGloriaとRide the Chariotかな。他にもいい曲がありますが。
今までの人生で、これぞSerendipity(偶然の出会い、思いがけない発見)だ! と感じたエピソードがあれば教えてください。
今でも長く付き合っている友人、ミュージシャン仲間との出会いは全てSerendipityかもしれませんね。たまたま同じ部活だった、同じ現場にいた、と言った具合に。
たまたまライブハウスで知り合ったり、部活が一緒だったり、音出しているうちに気が合いそうだな、ということで関係が続いてます。
たしかに、音楽を始めたきっかけも、ドラムセットを購入されたのも、人との出会いがきっかけになっていますよね!
今回のSerendipityのメンバーや空気感はいかがですか?
とてもやりやすいです。意見を出し合っていいものを作っていこうとしている人達だな、と感じます。それぞれエゴはありつつ、それをどこまで出すか、周りと調和を保ちながら進めている感じ。 言葉を重ねなくても通じるものがあります。
第二部の物語冒頭で、主人公・響香は、コロナ禍により挫折を音楽活動を進めることができなくなり、無力感を味わっています。
音楽活動で挫折を味わったことがありますか? エピソードを教えてください。
音楽学校に通っていた頃、天才と凡人にはここまで差があるのか! と痛感し、自分の才能のなさに絶望していた時期がありました。
何を聞いても感動しなくなり、ただただ呆然と毎日の課題をこなしていた時、気づくと体がリズムを刻んでいて。ラジオから流れてきた"Earth, Wind & Fire"の"September"に自然と体が動いて。自分は本能で音楽を求めてると気づき、一生続けながら自分も誰かの支えになれる音を出すために日々精進しようと決めた、といった経験があります。
高野さんも悩まれていた時期があったんですね。
練習の時、ドラムの音色にただただ感動していますが、とても周りをリスペクトされているので、才能のある方は謙虚なんだなと感じていました(笑)
でも、やはり音楽がご自身の人生の根幹だったわけですね。
はい、その通りです。
コロナ禍は音楽活動にどんな影響を及ぼしましたか?
オンラインが普及した事で可能性が広がったように感じます。演奏面だけでなく、データのやり取りや情報発信の面でもやれる事が増えてきているように感じます。
コロナ禍で苦労している音楽家のお話しをよく聞きますが可能性が広がった、という言葉が印象的です。もう少し具体的に教えていただけますか。
コロナ禍でロックバンド活動(Yellow Studs)がなくなったので、代わりにオンラインで音源作ろうということになりました。
自宅で音を取って、ネットで音源集めて曲をネットで販売したんです。
いま、活動を再開してますが、オンラインと対面と両方できるので活動の幅が広がったなと感じています。
講師としてやっているレッスンも、オンラインと対面の両方できるようになったのは大きな飛躍ですね。
高野さんにとって音楽とはなんですか?
自分の心の糧であり、過去を教えてくれる教材であり、人と繋がれるツールでもあります。
とても素敵な言葉です。ちなみに、「過去を教えてくれる教材」というのは?
音楽に込められた時代背景、気持ち、宗教などがとても勉強になります。
どんな思いを込めて作曲したのか、など?
はい。ジャズでも反戦や人種差別・奴隷制度について歌った歌がたくさんあって。
演者も聴衆も、どんな気持ちでいたのかな、と想像します。
それを今度は自分が、現代の人たちにどう解釈して届けるか、という。
そうですね。
もし高野さんの人生に音楽がなかったらどうしてたと思います?
自動車の整備士になってたと思います。音楽と全然別の畑ですが(笑)。実家に車が無かったので未知のものへの憧れって感じですね。
Serendipityを通じ、新しい出会いや発見、刺激を受けたことなどがあれば教えてください。
合唱の方々と共演した経験がなかったので、リハーサルからそのハーモニーの素晴らしさ、体まで振動するような空気の共鳴に圧倒されました。
人間の声って身体じゅうに響くんだ、持続していく波長があるんだ、と感じました。
もちろんバイオリンだってそういう部分がありますが。
ドラムも体中に響きますが、声楽の方々って、身体全体が楽器ですよね。
音楽劇での効果音の選定も面白かったですね。団員の皆様とも相談しながら様々な物を叩いたりこすったりして、新たな発見がたくさんありました。
高野さんは、たくさん楽器をお持ちですよね。
打楽器の人間としては、少ないほうですよ。
ドラムを始めた頃はドラムセットだけでしたけど、色々な音を出したくて、町で見かけるとついあれこれ買ってみたくなって、増えていきました(笑)
Serendipity公演出演に当たってどんなことに心がけましたか?
素晴らしい演奏家が集まっているので、皆さんの良さが引き立てられるように、とにかく自分の全てを出し切る。出し切りながら、皆さんの素晴らしい音楽をどんどん吸収して共鳴していけるように心がけています。
高野さんのドラムを聴いていると、音の引き締め役だなぁと感じます。
ドラムが入った瞬間に、演奏がまとまるんですよね。
Serendipity Oneに期待することはなんですか?
お客様がまた見に来たいと思ってもらえるステージにしたいです。
ミュージシャンの方には、この舞台で音を出したい! と、思ってもらえるようなステージにしたいです。
お客様にとっても、ミュージシャンにとっても、出会いと発見のあるステージを目指されているんですね。
最後に、公演への意気込みを聞かせてください
いつもそうですが、【全力投入!】です。
ありがとうございました! 本番がどんな演奏になるか、楽しみにしています。
ピアニスト 廣田響子
(ピアノ、ナレーター)
いつ、どんなきっかけで音楽を始めましたか?
6歳の時、母の影響で始めました。
お母様も音楽をされているのですか?
大学でピアノをやっていたのですが、兄がバイオリンを習っていたので、ピアノは私が、という感じで。家にピアノもありました。
グランドピアノですか?
はい。
お母様の影響で、自然とピアノに触れる環境があったんですね。音楽を志されたのはいつからですか?
志したつもりはなかったのですが、いつの間にか流れに乗っていた感じです。
15歳で渡米されたんですよね?
アメリカに行った時には、言葉が本当にまったく通じなくて。でもそこで、周りの人が心を開いてくれたきっかけが音楽でした。
高校は普通の高校でしたが、先生が音大出身でした。
アメリカ人って大げさなので、「これがあるなら君は……!」なんて言ってくれるんですよ。
高校時代に出会ったピアノの先生もとても温かくて、先生が温かいから周りの生徒さん達も温かくて、音楽って素敵だなと思いました。
90歳のおじいちゃんだったので、十代だった私が可愛くてしかたなかったのかもしれません(笑)
その後、音大を目指されたんですね。
目指したというか、受けるには受けたんですが、練習が足りなくて、それが一度目の挫折でしたね。
マネス音楽大学を最優秀で卒業されてますが、その後はヨーロッパに渡られたんですね。世界を飛び回って、さまざまなコンクールでも受賞されていますが。
コンクールに出るようになりましたが、アジア人差別があったり、人が音楽を審査する、ということに疑問を抱いたりもしました。
コンクールに勝たなきゃいけない、そう自分を追い込んでいた時期は辛かったです。審査員に点数をもらえる演奏、いつ弾いても同じに完璧に作り上げなきゃいけない…
心を殺していく作業を繰り返し、それでも結果は出ず、音楽をやる意味が分からなくなってしまう。ずっと挫折の繰り返しです。
でも、その挫折を救ってくれたのも音楽だった、と伺いました。とても素敵なお話しなので、音楽に救ってもらっている、というところを少し詳しく教えていただけますか。
一番の挫折は、大好きだった先生が亡くなった時のことです。同じ時期に怪我してしまい、ピアノが弾けないかも、という状況になりました。
それまで音楽を続けることに疑問を抱いてもいたのに、「自分には何もなくなってしまった」と感じました。
その時、同門の生徒、同門と言っても、もう60代とかなんですが(笑)、「先生は幸せな人生だったよ、彼に感謝して教えてもらったことをやっていこう」と、励ましてもらって。
怪我が治るのに3ヶ月かかりましたが、久しぶりにピアノを弾いたら、不思議なことに手が動いたんです。
前より上手になったかな、というぐらい。
それが、想像以上にうれしかったんですよね。
音楽が知らないうちにアイデンティティになっていたんでしょうか。
大事なのは、自分らしくあり続けることなんだろうなと。
音楽が好きだと思い続けるモチベーションっていうのも大事だなと思ってます。
アウトプットする仕事だから、インプットしながら自分を豊かにしたい。
素直になれば音も素直になる気がするし、何を伝えたいか? と考えながら、情熱の火を取り入れていきたい。
廣田さんにとって、音楽とは?
人間そのものを表す、心に1番近い存在だと思っています。
私は、元が根暗で、考えすぎるほうで……
意外でした。練習の時には、とても明るくて活動的で、笑顔が素敵な印象だったので。
嘘でしょって言われます(笑)。
人前で不安とか疲れた、というのを見せられないほうで。周りの空気を悪くしたくなくて。
それよりも、一回自分を消して、音楽だけのモードに入るんです。
ただ楽譜と向き合って、自分が消えて、感情だけになる。
もっとこうしたら楽しくなるな、って。もうわくわくだけですよ。
それが音楽と戯れる、ということだと思う。
自分がその音楽を新しいものにしていくんだ! って、綺麗なビー玉みたいに、夢中になれる。
こうしたらもっと素敵になる、と思いながら弾いてます。
なるほど。いつも楽しそうなのと同時に、一つ一つの音を丁寧に解釈して弾かれているなと感じていますが、腹に落ちました。
Serendipityに参加されて、音楽と戯れる、音を楽しむ経験をしていると仰っていましたね。
はい。ピアノはどうしても小編成の時の出番が多いので、初めて大人数での演奏に携わり、音の迫力に圧倒されて。
ドラムとか、普段あまり演奏中に聴くことのない新しい音・個性にたくさんインスピレーションをもらい、音楽と戯れるような「音を楽しむ」経験をしています。
人と演奏すると、人前で演奏するときにネガティブにならなくてすみます。
一人で演奏してミスしたら辛いけど、人と演奏していたら、ミスったなって面白がってもらえるし、いい演奏を聴けば、こっちもいい音を出そう! ってなるし、自分の一音で人が盛り上がったり盛り下がったり、で。
Serendipityではいろいろなジャンルの方々がいるので、個のパワーの掛け算で新しいエネルギーを生み出したい、とも言われていましたが。
いろんな分野の人がいるし、いろんなものが生まれていくと思います。
わくわく感が新しくて、飲まれそうになる時もありますよ。
負けるか、と思いながら弾いてます。
ジャズの要素もありますし、普段のクラシックの演奏では味わえないような体験ですよね。
本当はクラシックこそセッションであってほしい。相手に呼応しながら、その場で起きる一瞬の面白さを楽しむべきだと思ってます。
セレンディピティ第二部ではナレーションにもチャレンジされてますが、そこから何か新しい発見がありましたか?
緊張してます!
今日も発声法とか調べてました。
やっぱり真面目なんですね!
いや、いつもぎりぎりなんですよ。
Serendipity Oneの公演に向けて期待することは?
一人一人がのびのびと、音楽を通して思いっきり自己表現する、自由なものであって欲しいなと思います。
言葉がなくても、人の心に刺さる時は刺さる。言葉を超えて感情だけを揺さぶる。
人と人の間にある壁を全て乗り越えて、感情だけがぶつかるのってすごい! と思うんです。
可能性を最大限に面白がりたいです。
最後に、公演への意気込みを聞かせてください。
ナレーションという新たな挑戦もあり、不安な気持ちもありますが、一瞬一瞬を思いっきり楽しみたいと思います!
ステージの上の「楽しい」気持ちが、客席にも届くことを期待してます! ありがとうございました!
河野 大樹
山下 裕賀
Burg MännerChor 関口 直樹(テノール)
DTBTカルテット 小西 達也(バイオリン)
いつ、どんなきっかけで音楽を始めましたか?
幼少期より児童合唱団に通っていた関係で始めました。
幼稚園の頃にヤマハのエレクトーン教室に通ったのが初めてです。母が音楽の先生でしたので、生まれる前から音楽はとても身近にありました。
兄が演奏していたトランペットをお下がりで譲り受け、小学校の吹奏楽クラブから始めました。また小学生時代は地元のエレクトーン教室にも通っていました。
3歳の時に両親が情操教育的に始めたので本人としては無自覚です。その後、中学か高校の頃に「やめてもいいよ」と言われたが、いつの間にか音楽全般が好きになっていました。
Serendipity Oneに参加した経緯や、参加を決めたポイントなどがあれば教えてください。
普段ご一緒しない様々なジャンルの演奏者の方々と共演できるため。
コンサートにお誘い頂いたときに概要をお聞きして、なんて色とりどりなコンサートなんだ! とまず思いました。
クラシックにとらわれない様々な国の音楽、台本、そしてプチダンスまで…!一体どうなるの!?とドキドキワクワクしましたし、何より自分の表現の引き出しを開け放つ時だと思ってこの企画に飛び込んでみました。
吹奏楽、オーケストラ、合唱、ミュージカル等で活動して来た経験から、以前より他ジャンルとのコラボは新しい発見が得られ新鮮に思っていたので、今回も新たな出会いを求めて参加しました。
一度ご一緒した谷川さんからの声掛けで。声楽と器楽の自由で広がりのあるコラボはもっとやりたいと思っていたので、ありがたく企画を膨らませました。
今までの人生で、これぞSerendipity(偶然の出会い、思いがけない発見)だ! と感じたエピソードがあれば教えてください
高校の合唱部の顧問の先生が、東京藝術大学で師事した先生の同級生だった。
音楽の世界はまさにSerendipityの連続ではないでしょうか。新しい演目、初めて声や音色を合わせる共演者、毎度奇跡のような巡りあわせだと思っています。
学生の頃に大学祭実行委員でご一緒した方にお声掛けいただき現役高校生の軽音楽部内イベントに参加した経験や、尺八奏者の妻と三曲(箏・三味線・尺八)の演奏に合わせて独唱した経験は、どちらも思いがけない発見がある貴重な体験となりました。
若い頃はドイツ語を学んでいたこともあり、海外といえばドイツやフランスが優先、英語圏のアングロサクソン系(イギリスやアメリカ)にはあまり興味がなかったのですが、仕事でイギリスやアメリカに住むことになり、そこから一気に物事への関心/見方が広がったと感じてます。 自らの興味の幅を狭めてはいけませんよね。
第二部の物語冒頭で、主人公・響香は、コロナ禍により音楽活動を進めることができなくなり、無力感を味わっています。
音楽活動で挫折を味わったことがありますか? エピソードを教えてください。
大学が音楽大学で無かったため、専門的な道を諦めていた。親からの反対もあったため。
私の通った大学では、修士2年生の時にオペラを丸ごと1作品勉強する機会があります。私の年は自分が大好きな作品が当たってラッキー!といったところだったのですが、当時の私には全く歯が立ちませんでした。思ったように歌えない現実に悩みに悩んでしまい、精神的にかなり弱ってしまってある日声が出せなくなりました。歌うと涙が出るという情けない状態!
「先生、私もう歌えません」と大号泣しながら弱音を吐いてレッスンを休んだり…笑、それでも授業には無理やり出席しなくてはいけない状況で、もうその当時は本当に辛かったです。
その時に状況を打破するべく試行錯誤したことが確実に今に繋がっています。結局その公演では悔いの残る演奏となったのですが、自分の中で大きな一歩を進んだ経験となりました。
立ち上げメンバーとして参加したミュージカル団でしたが、1回の公演で団員間の方向性の違いが表面化して解散してしまいました。非常に残念で未だ心残りです。
挫折というわけではないですが、耳で曲を覚えてしまうタイプだったので、物心がつく頃は楽譜が全然読めず、知らない曲へのハードルがめちゃめちゃ高く感じてました。でも譜読みのスキルは身につくもので、今となっては不思議な思い出です。
コロナ禍はあなたの音楽活動にどんな影響を及ぼしましたか?
より一層、音楽=自分の職、という自覚が強くなった。自粛中は自分が何者なのか、何のために生きているのか分からなくなった。
コロナ禍に入ってすぐ、大きな舞台や自分の企画した演奏会が全て無くなって、正直絶望的でした。しばらくは歩みを止めていましたが、こんなに時間があることって一生にもうないかもしれないと思い、スタジオにこもって地味な発声練習をひたすらしていました(笑)ほかにも楽譜を見つめてみたり、語学を頑張ってみたり、この時間が全部これからに繋がってくるはずだと思い自分の内側に目を向ける時間となりました。
練習で集まる機会や発表の場が失われ、自身や家族、音楽仲間との繋がりに大きな影響がありました。外では何も出来なかった時期に埼玉県合唱連盟企画のリモート合唱「翼をください」に家族で参加して、音楽っていいなと痛感しました。
大きく2つあります。1つは大人数の活動がままならなくなったことで、実際演奏会がかなり消滅したことも残念でしたが、何よりも普通に気ままに集まっていた人と会えなくなった(今もそういう人が何人もいます)ことが寂しいです。もう1つは、ボランティア系の活動が停止したままということで、病院や施設にはまだ訪問できない、未だに普通ではない状態が続いているのが残念です。 おまけにもう一つ、自分だけの時間が増えたので練習するようになりました!
あなたにとって音楽とはなんですか?
自分を悩める存在であり、生きる意味を与えてくれる存在。
時間や、心や、人をつないでくれるもの。生きていることを実感する世界。
日頃のサラリーマン生活とは全く別の自分を解放出来る場であり、新たな発見と喜びを与えてくれるものです。
また、今までも音楽を通して多くの素敵な仲間に恵まれて来ました。他者との関わりの中でこそ人は成長出来ると考えていますので、私にとって音楽とは人生そのものです。
表現を、表現することを、楽しむためのツールとでも言いましょうか。聴くことも、演奏することも、衣食住と同等に必要不可欠なものです。
Serendipityを通じ、新しい出会いや発見、刺激を受けたことなどがあれば教えてください。
プロの対応力は凄い
今回演奏する曲は、私にとってほとんどが初めて挑戦する曲です。クラシックはもちろんのこと民族音楽やジャズ、様々なジャンルの音楽を様々な楽器と演奏できるのがとても楽しいです!
参加メンバーのレベルが非常に高いので、練習のたびに良い刺激と喜びを感じています。
知らなかった曲、知っててもアレンジの違う曲、そして普段コラボしてないジャンルの奏者、との双方向の音楽コミュニケーションが楽しめてます。もっともっと影響し合いたいですね。
Serendipity公演出演に当たってどんなことに心がけましたか?
クラシック歌手ということに固執せず、どうすればお客様が最大限楽しんでくれるか、という事を心がけた。
今回はアンサンブルをすることが多いので、特に周りの音にアンテナを張っています。メロディだけではなく、色んなところで色んなパートが活躍しているのを発見して頂けたら嬉しいです。
全体練習の予定回数が少ないので、YouTubeの参考音源と合わせて自宅で練習する等、貴重な全体練習は新たな課題を発見する場とするよう心掛けています。
あまりワイワイガヤガヤできないので(コロナで)、人と人のコミュニケーションが十分に取れないのが残念ですが、演奏上では「発信する」という意味で表現力を強めにすることを意識しています。そういうアプローチで双方向でぶつかりあって、また違った世界を、より良い音楽を生み出していきたいです。
Serendipity Oneに期待することはなんですか?
様々なジャンルの方が合わさった結果、今までに味わった事が無い満足感をお客様に与える事。
やっぱり今回のように、異なるジャンルの融合を期待します!和楽器や日本の音楽と外国のものが融合することもあったりするのかな…なんて思ったり…笑
参加メンバーが皆満足し、次に繋がる企画となることを期待しています!
ここで体験できていることを、それぞれの活動の場(に戻った時)でもどんどん応用できるような、自己の広がり、他者との広がり、を自分も含めた皆さんに期待したいです。この場で楽しかった、だけでなく、次はあれをやってみようかな、という空気が伝播していくといいなぁと思います。
公演への意気込みを聞かせてください
自分のやるべき事、やれる事を精一杯やり切ります。
今回はソロだけでなく、アンサンブルやセリフにも挑戦します。マイクで演奏するものも!
ここまで参加したどのコンサートよりもバラエティに富んでいるかもしれません。
私の中にある引き出しをフルに開けるチャンスだと思って、楽しみながらも全力で演奏したいと思います!
久し振りのコラボ企画への挑戦です。悔いの残らないパフォーマンスとなるよう頑張ります!
アンサンブルではありますが、ユニゾンだったとしても参加メンバーの個々の個性が立体的に浮き出るような、そして曲によって色の違いが明らかな、そんな雰囲気のあるステージを目指したいです。そしてそれがお客様にも伝わると更に嬉しいですね。